中高数学課程において身につけてほしい数学的な力

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中高の数学の場合は,どうしても目的が大学受験になるので,与えられた問題が解けるかどうか,受験に必要なテクニックを学ぶことが数学の勉強になりがちである.そういった数学が得意な生徒であればそれでいいが,われわれ中学の教師であれば,数学が苦手,前向きに勉強できない生徒に対して数学好きになるにはどうすればいいのか,数学的なセンスを身につけるにはどうしたらよいのかを考えながら日々授業研究をしている.
実はヒントは,現在の英語教育からヒントを得たものが多い.現在の英語教育であるが,ペーパーテストがメインでリスニングが後回しにされたような我々の学生時代(80年代から90年代前半)と違って,いろいろな実用英語が今の中高教育に盛んである.簡単な文章をたくさん読むといった英語の「多読」を取り入れている学校も多い.その中で,いわれているのが,たとえば英語を話せるようになるには,中学の文法と基本単語2000語をしっかり使えるようにするということ.get,have,takeなどの有名な単語をいろいろな場合で使えるようになることといったような,基本的な内容の完璧なる習得である.こうしたような英語教育が少しずつ取り入れられるようになっている.
私はもちろん英語教師ではないから,これで完璧とまでは言い切れないが,同僚の英語教師に聞けば,それでとりあえずは使うには充分ということを教えてくれた.
この現在取り入れられつつある実用英語教育を私自身学ぶ中で,私なりの数学教育のヒントを得た.もちろんこれはすべてでないが,中高数学でも実用数学,私の場合主に中学の数学を教えているものであるから,小学校の算数と中学校の数学の違いを意識しながら教えることはもちろんのこと,現在の英語教育と同じように,特に使える数学ということを意識させるということである.英語でさえも使う英語と中高の英語学習の隔たりが大きいのに,ましてや使う数学ともなれば現状の中高の数学教育ではほど遠い位置にあるのではないだろうか.

その使える数学も,難しい数式を使う必要がないのではないかということを私自身思い始めた.とにかく,新聞などを読んで小学校の式でもよいから,式を使って考えられればいいのではないかと思い始めたのである.とにかく,文章を読んで式を思いつく,いろいろな変化をしている状況の中で式を思いつく,そんな訓練が必要ではないかと思い始めたのである.

文章を読んで漢字,語彙を学び日本語で文章をまとめ表現するのが「国語」の勉強,文章を読んで,英語の文法,発音,リスニングを学び英語で表現をするのが「英語」の勉強,そして文章を読んで,状況の変化を読み取って,式で表すのが「数学」の勉強とそんな考えが私の中でできあがった.この文章を読んで式で表すという意識が現在の数学教育に欠けているのではないかと思っている.とにかく小学校の内容でいいのでとにかく式で表すという意識をもつようにするのが大事であると思う.これは中学の文法と単語力で日常会話程度の英語ができるということに似ていると思う.
このような数学教育の考えのもと,以下普段から一中学教師として大事にしている私なりの中高数学で身につけるべきものを以下まとめてみた.もちろん,これがすべてではないし,参考にして頂ければと思う.

とにかく計算力をつける

どのスポーツも最初始めるときはストレッチであったりランニングから始めるはずである.その道をそれなりに極めようと思うと,なんだかんだいって単純な作業をどれだけきちんとやれてきたかが大事になってくる.国語力を身につけるには漢字力・語彙力,英語を使えるようにするにはまず単語力であるし,数学は計算力である.数学ももちろん同じである.式の意味を理解しながらひたすら手を動かし,どれだけ単純作業の計算問題を解くか.解けば解くほど計算力が身に付いていくし,数字に強くなっていく.単純な計算問題をやってとにかく数字が苦手にならないような計算力をつける.これが大事だと思う.

こうした中高時代,さらには大学社会人時代も数学を学ぶ上で一番大事なことは,なんといっても

 数学は計算力が大事

ということは,長年の経験からいえる.つまり単純作業の繰り返しをすることによっていかに計算力を身につけることができているかということは非常に大事であると思う.中高のカリキュラムは,正の数・負の数の計算に始まり,方程式を解き,展開因数分解やったと思ったら,次に2次関数,また次に三角比など全く内容がバラバラの内容が続く.前の章でやったことが全くつながった印象がない.数学が得意の高校生であれば,いろいろな分野の関連性に気づき,いろいろ組み合わせて問題を解くことができるであろうが,苦手な生徒であれば,全くバラバラ感が否めなく,苦痛でたまらないし,目的がみえない.この目的を教えることこそが我々教師の役目であるが,実際はそうした余裕もない現実もある.

  これは私が考えるに,結局のところ高校の内容は,大学,特に理系で学ぶ内容の計算重視の基礎トレーニングをしているようにも思える.高校までの数学は,学ぶ範囲が多すぎて,深い内容よりも,計算力を含めた数学の
反射神経を学ばせているような気がしないでもない.とにかく短い中高6年間でびっしりのカリキュラムがあり,ちょっと詰め込み感も否めないが,教科書に付属の問題集でたくさん計算問題を解いていつの間にか見えない計算力と高校卒業以降で必要な計算力を身につけるために練習しているのではないかと考えている.

算数と数学の違いを理解させる

また,次のような内容もきちんと式で表すことができるか.

温度計で-7度から5度まで上昇した.何度上昇したか

小学生であれば,温度計の目盛りを意識しながら,7+5=12と足し算して答えて丸をもらえる.もちろん中学生でももらえる.しかし,6度から9度まで温度が上昇したときに何度上昇したかという問題の場合には,9-6=3で3度となると答えるが,この場合は引き算を用いてと,ケースバイケースで,加法と減法を使い分けている.しかし,中学では負の数を学ぶので,前者であれば,5-(-7)というように減法を使って表すこともでき,

 違いがいくらかというときは減法(引き算)を使う

というという統一的な指導ができる.このような当たり前のことが,案外小学生と中学生の数学(算数)の指導の大きな違いのポイントとなる.統一的な視点から,この場合は四則演算で何を使うかという指導を徹底していくことが大事だと考える.とにかく,文章を読み取って式で表すこれが大事だと思う.

表現を学ぶ

中学の数学でまず最初に学ぶのが,正の数・負の数でいろいろな意味や計算方法を学ぶ.この分野の最初の方で,負の数を使った表現という節があり,たとえば「5年前」であれば「-5年後」,「東に3kmの地点」は「西に-3kmの地点」といったような内容である.いわばマイナスをつけて反対の表現を使うといわば機械的にパターン化されている内容である.しかし,少し新聞や広告に目を向けるとこういった独特の表現と思われるものが普通に使われている.

たとえば,新聞の気温のところに目を向けると,東京15(+3)℃とかいてあれば,生徒の全員が東京は昨日は,15-3=12で12℃と理解できている.この表現は,東京の今日の気温は,昨日に比べて+3℃高くて今日は12+3=15℃であるという意味である.だから,昨日は15-3=12という計算で12℃となる.同じようにして,鹿児島18(-2)℃とかいてあれば,生徒の全員が鹿児島は昨日は20℃と理解できている.しかし,表現を理解できるが,この表現を式で表したらどのようになるのかと考えさせるのが数学の勉強の1つだと考えている.この表現は,鹿児島の今日の気温は,昨日に比べて$-2$℃高くて今日は18℃であるという意味である.だから,式で表すと昨日との比較をして違いを表した表現なので,減法(引き算)を用いて,昨日は18-(-2)=18+2=20という計算で$20$℃となり,今日は20+(-2)=18℃といった表現になる.だから,カッコ内の昨日との気温の違いの後ろには,「高い」という表現が省略されているということを解説して,負の数を学ぶことによって統一的な表現ができるということ生徒に意識させ,昨日の気温を求めるには,正の数を使おうが,負の数を使おうが減法を用いればよいということになるし,~と比べて「高い」という表現であれば,加法(足し算)を使えばよいというという統一的な考えでとらえることができる.
こういった表現は小学生で学んでこなかった表現であるし,このように負の数を導入することによって,新聞や広告に載ってあるような世の中の仕組みや表現を学んでいくということを強調してもよいと思う.小学生と中学以上の数学の違い,中学の数学を勉強することによってなにが小学生と違うのか.この部分もなかなか重要視されないできているような気がする

変化の様子を式で表す

次のような問題を考えよう.「ずっと前からさましている液体があり1分間で2℃ずつ下がっている.いま温度をはかると15℃であった.3分前と5分後の温度を求め,x分後の温度を式で表す」という問題を考えよう.

小学校の範囲であれば,文章を読みとることによって3分前はいまよりも温度が高いことがわかるから15+2 × 3=21℃,5分後はいまよりも温度が低いので15-2 × 5=10℃と求める.つまり文章を読みとって加法を使ったり減法を使ったりする.これが中学の範囲であると,つまり,3分前は-3分後として考え,15-2 × (-3)=15+6=21℃,5分後は15-2 × 5=15-10=5℃と両方とも減法を使って表すことができる.そして,x分後は,(15-2x)℃と表すことができるということである.中学の範囲であれば,文字式と負の数の表現を使って変化の様子を1つの式で表すことができる( 統一的に表現できる)ということが大事である.

また変化の様子を式で表そうという気持ちをもてる能力を養うことが大事である.たとえば,遊園地のアトラクション待ちのとき,最後尾何分というようなプラカードを持った人を見たことがある人もいるだろう.このとき1分間で何メートルずつ前に進んでいるか,何人ずつ減っているかなど並びながら考えて式を考えるという姿勢を身につけるということである.

文章の内容を読み取ってを式で表す練習(特に文字式を使って考える)

いままでずっと文章の意味を理解して式で表すというということが,中学以上の
数学の学習で意識しておかないといけないということを述べてきた.
次のような問題を考えよう.

母はa才,父はb才,母は父より2才年上である

先ほども述べたように,文章を読み取って式で表すのが数学の勉強の一つである.
これを式で表すと,a-b=2,a=b+2,b=a-2などが生徒から返ってくることが多いが,負の数を学んだ中学生であれば,b-a=-2と答えた生徒もいた.文章を読み取れている証である.

次に,方程式の文章問題

1個x円のりんご 4個と1個50円のみかん 10 個買った。代金の合計は 1400円

これも答えを求めることも大事である((1400 – 50 × 4) ÷ 6)=200)が,6x+200=1400ともちろん文章を読み取って内容を式で表すということが大事である.

世の中の仕組みを数学を通して理解する

美しいバランスの比黄金比,錐の体積が底面積×1/3となぜ1/3かけるのか,縁がゆがんだ線で囲まれた面積を求めるときの面積の求め方,坂の角度のはかり方,可能性を数字で表現する確率,データの分析など
世の中,見えるところから見えないところまで数学が根幹に根を張っている.数学が導く理論が世の中の発展に貢献しているのは間違いない.目の前の問題集の問題が解けるかどうかではなく,こうした疑問,考え方,仕組みを数学を通して解決して学んでいくことが大事と考えているし,そうした意識をもたせる指導も大事である.

グラフや新聞・広告記事などから、内容を読み取り式を作る練習

国語であれば読み取り文章でまとめるが、数学の場合は読み取ってものを式で表しまとめ考える.小学校の内容の式でもよいからとにかく読み取って式を作り考えるという意識を持つことが大事である.これは中学英語文法で日常会話ぐらいはできるという意味にも似ている.日本の数学教育で足りないところと考えている.

数学の知識を増やす練習

ただ単に数学に関する知識を増やす.小数,分数,自然数,整数,無理数などの数についての知識.平方根や対数・指数の知識.ただ数学に関する教養を増やすということでもある.この本では,数学の知識を深めるという意味で,実数という数について述べた.

以上が,中高まで身につけるべき数学の教養,数学力だと私は考える.

動画にもまとめてみました

なぜ勉強するのか

数学を勉強する理由

小中高の数学と大学の数学

高校までの数学は言葉は悪いが,与えられた問題を解くクイズと私は考えている.高校までの数学は解説少しで,問題が恒に用意されていてそれを解いてパターンを覚えていく.そして答えを見ないで解けるまで反復練習する.時間内でどれだけ解けるかを競うゲームである.しかし答えを出すまでは論理的な思考が必要なので,クイズという考えでも高校までの数学でも論理である.国立大学の 2 次試験などではまだ数学の記述試験が課せられているので,一応は答え出すまでの論理力が試されているのが唯一の救いである.クイズであるからたくさんのパターンを知っていればいるほど,難しい問題が解けていく.しかし数学オリンピックや東大後期試験の数学の問題になるとさすがに生まれもったセンスが要求され,パターンだけでは通用しなくなるかもしれない.平均値の定理といった有名な定理がある.この定理が受験参考書で f(b) − f(a) = f′(c)(b − a)とかかれ (b − a)を取り出す定理とかいていたがあったが,まさにこれは受験数学を象徴した表現であろう.ちなみに私はこの考えは邪道だとは全く思っていない.そういう考えで新たな発想が生まれればそれでよいと思っている.小学校から中学校になるとき算数から数学に名前が変わるが,実質,与えられた問題を解くという流れには全く変わりがない.ただし,平方根がでて新しい数を定義したり,わからないものを○や□で表していたものが文字で式をたてて表すようになり,証明するという技術を学んでいく.また中学の数学から高校の数学も与えられた問題を解くという流れには全く変わらない.実際に数学教師をしていて,中学数学が得意だった生徒も,三角関数,対数,数列やベクトルでつまずいてしまい,しまいには数学を捨てて私立文系になる生徒をたくさん見てきた.中学までは授業中に理解できてあまり演習問題を解かなくても結構試験の点が取れたりする生徒もいたが,さすがに高校数学となるとそうはいかない.予習,少なくとも復習だけはしっかりやっていかないと高校数学の内容にはついていけない.言い換えれば高校数学も勉強時間を増やせば得意になることができるということである.また高校までの数学では「数学が暗記科目」という是非論がいまだに絶えない.私は数学はやはりかなりの部分暗記が必要で,教科書,受験参考書までは暗記が必要だと思っている.言葉の意味や定義や定理を理解しておかなければ数学の教科書は読めないし,教科書傍用問題集でひたすら計算問題を反復練習をして,教科書の内容を体の中にしみこませていかなければ,数学の総合学習を含め全く応用が利かないと思っている.受験参考書の解説を見ていたときも,これは知らないと解けないなと思われる問題もたくさんある.ただし暗記といっても丸暗記ではなくて,理解した上での暗記である.数学が暗記科目だと思っている人も丸暗記でなく,きちんと理解した上でパターンを覚えろよと言っているのである.数学の楽しさを教えるといっても,計算問題がすらすら解け,それなりの応用問題も解け定義や定理がすらすら言えないとやはり総合学習的な数学をしても生徒は理解できない.テストをつくっていても結局は,数学の言葉の意味や問題集に載っているパターン問題の羅列になってしまいこれでは数学の考える楽しさなんか生徒に伝わるわけないやんかと思っていても,これも必要悪だと思ってテスト問題を作っている.こうした悪循環が,結局は点数のとれる生徒だけが数学が面白いとなってしまう.私もこの悪循環からはやく抜け出して数学の楽しさを教えたいと思っている.それでは大学での数学とは何か.高校までの数学と勉強のやり方が全く異なるのである.大学の数学は一連の流れをもった物語を理解していくので,与えられた教科書を見ないで解説できるまで前後の流れを大事にしながらイメージをつくりながら物語を理解していくのである.与えられた問題を解いていかないのである.用意された物語を確かめながら,旅に出てときどき疑問をもちながら,そしてそういう疑問を解決して新しい発見していってそれを論文としてまとめ公表する.そういうスタイルに変わるのである.大学の数学はまず最初に問題が常に与えられない.つまりクイズ形式ではないのである.教科書にかいてあることを,自分の頭でイメージしながら最後まで理解していくことがメインになる.章末の練習問題が解けるようになったかどうかはほとんど問題にならない.しかし定期試験では次の問題を解けというような形式で出題されるが,テストの問題が解けたからといって数学が本当に理解している (得意になった) とはいえない.大学受験を乗り越えた学生はやはり高校時代の癖が抜けなくて,一連の流れを理解するというよりも,所々にでてくる例題の解法を必死で覚えて定期試験を乗り越えていくが,先程も述べたようにそれは長い物語の1点1点を理解しただけであって,その点と点の間の流れはなく,そういう学習をしているとむしろいつかはつまづく.むしろ練習問題を解くことによって,自分のイメージ通りに理解できているかが大事になる.与えられた問題を解くときに疑問に思うのではなく,自分で疑問を探していくのである.だから与えられた問題をいろいろなパターンを組み合わせて,いろいろな解法を示して解いてきたことに慣れ,それが楽しいと思っていた学生は挫折するのもうなずける.